成人になるまで、多くの人は学校という閉鎖空間で過ごすことになります。閉鎖的な空間であるため、どうしても視野も狭くなりがちですが、必ずしも学校だけではないと言うことも知っておくべきです。しかしながら、そこでしか学ぶことのできないこともあります。例えば、人と協力することの大切さ、人間関係の築き方などは、ここでしか学べないと言って過言ではありません。成人してからも学ぶことはできますが、思春期の時期に学んだことは、その後の人生に大きく影響します。生活においては、やりたくないこともやらなければならず、行きたくないと思っても、我慢していかなくてはなりません。そういった面でも、忍耐強さなどが育まれると言えるでしょう。しかし最近では、いじめなどの問題も表面に出てきており、他人事ではなくなってきています。いじめられて学校に行けない人が増えてきています。そういうときには、無理して行かず、休息を取ることも必要であると思います。学校という空間では、他人と協力したり、互いに思いやることが必要ですが、たまにはリラックスをすることも大切です。現段階では、いじめをなくすことは、SNSなどの発達によって難しくなっています。
現在の日本の学校(特に中学・高校)は、いじめ問題や教職員多忙化の問題、少子化による存続の危機など、さまざまな課題を抱えています。これらは、深刻な問題でその解決は決してたやすいことではありませんが、ここでは、視点を変えてこれからの学校について考えます。 まず、学校とは、集団で勉強する場でありますが、対象年齢や勉強のしかたや内容の幅を広げることを提案します。 具体的には、超高齢化社会といわれる現代において、高齢者が学び触れ合う機会を作ることです。元気なお年寄りが、好奇心をもって学ぶことで、健康維持や認知の予防にもつながります。現在もすでにあると聞きますが、高齢者と乳幼児のふれあいの場があれば、双方にとってメリットがあるでしょうし、高齢者と若年層が交流しながら学ぶならば、その中で視野が広がり得るものがあるはずです。また高齢者同士で教え合うというケースも考えられます。従来の勉強の枠にとらわれず、技術や特技を生かし、伝えていくのもいいでしょう。教えることはすなわち学ぶことであり、年齢に関係なく必ず成長につながります。高齢者のもっている可能性を生かせるような社会になればと思わずにはいられません。 ハード面では、少子化で統廃合になった校舎を再利用すれば、一挙両得と言えます。たとえば、使わなくなった校舎を地域のさまざまな年代の住民の交流の場にすることなどです。 教育と福祉のタイアップで、これからの学校の進むべき道をさぐっていくことはできないでしょうか。
Last update:2024/11/6